園芸資材・農業資材・造園資材・花材の総合問屋、青森県平川市(弘前市のすぐそば)末吉商店です。植木鉢、肥料、園芸用・農業用の用土、薬品、造花、しめ縄、苗、球根・縄、ムシロ、カメなど東北で一番の取り揃えでお客様のご要望に応えます。

もうすぐ「令和」

そもそも元号って?

令和 改元 未来日本では2019年の4月30日で、“平成”が終わり、5月1日から“令和”という元号が使用されることが決まっていて日本中で新しい元号に期待しています。
でもちょっと考えると、この元号とは何でしょう。今回は園芸の話とは異なりますが、せっかくなので少し勉強してみることにしました。

記年法

令和 改元 未来記年法とは元号も含めて、年を数えたり、記録する方法です。
例えば家計簿を付けるとして、スーパーなどのレシートを基にして付けますよね?
このレシートに西暦でも和暦でも○○年△△月××日と記されていないと、いつ購入したのか?ということが判りません。去年と同時期の値段を調べたくても、年を数える方法が無いとそもそも数えることが出来ません。
記年法とはある時点を起点として、年数を数える方法です。日本で現在一般的に使用されている記年法は次の3つです。
○西暦:イエス・キリストが生まれた年の次の年を元年とする記年法。
○元号(和暦):君主の即位や事件でリセットされる有限の記年法。
○干支:60年周期の循環で年を数える記年法。(10干12支)

元号を使い始めたのは中国

元号を使用する前の中国

令和 改元 未来元号を使用する以前の中国では、君主が即位した年を元年として崩御するまで、その君主の名前を頭に付ける記年法を使用していました。
例えば、中国にあった秦(しん)という国で始皇帝(厳密には中国を統一してから皇帝を名乗った)が即位した年を始皇元年(紀元前257年)から始まり、崩御した始皇37年(紀元前210年)まで使用されました。稀に改元する皇帝が出てきて、改元された場合は“中”や“後”を付けて使用していました。改元とは元号を変えることで、以下のような理由で変えられたようです。
①君主の交代による代始改元
②吉事を理由とする祥瑞改元
③凶事に際してその影響を断ち切るための災異改元
④三革を区切りと見なして行われる革年改元(三革とは、革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年))

前漢の武帝が元号を初めて使用した

令和 改元 未来中国最初の統一王朝、秦の次の王朝で漢(かん)の7代目の皇帝である武帝が、紀元前115年頃に自分が即位した年を「建元(けんげん)」として元号を初めて決めたとされています。
武帝が崩御するまで建元を始め、元光•元朔•元狩•元鼎•元封•太初•天漢•太始•征和•後元と11もの元号を使用しています。長く使用される元号で6年、短いもので2~4年使用しています。これは吉事や凶事が発生した場合に人心を一新したくて、改元したりしたので元号がやたらと増えてしまったようです。ちなみにこの「建元」は元号を創始することという意味で現在でも使われています。
皇帝もあまりにも元号が多すぎて困ったのかは知りませんが、1368年に明(みん)の初代皇帝、朱元璋が即位する時に、「洪武(こうぶ)」という元号を定めるのと同時に、一世一元の制という法律を定めて、「1人の皇帝が決める元号は1つ」と決めてしまいます。この制度は明の次の王朝、清(しん)にも受け継がれることになります。清が1912年に起きた辛亥革命で滅亡すると、中国全土で使用される元号は廃止となりました。

元号の輸出

令和 改元 未来当時の中国の王朝は周辺国に冊封(さくほう)という外交をしていました。これは中国王朝の皇帝に、王や候といった爵号をもらって名目上の君臣関係を結んで貿易をする行為で、物品の輸出入だけではなく、法律・制度・宗教なども輸出されていくことになります。その一つに元号も含まれていました。朝鮮、南詔、渤海、琉球などでも中国の元号を使用していたようです。
一方で中国の元号とは別に、独自の元号を使用した国もありました。朝鮮王朝(中国王朝のものとは使い分けた)、日本の朝廷、ベトナム王朝などで使用されました。

日本の元号

最初の元号は大化

令和 改元 未来日本で最初に元号が登場するのは645年に「大化(たいか)」という元号を建元して初めて朝廷が使用し始めました。
理由として、天下安寧、政化敷行(これから朝廷が政治を取り仕切りますの意)を宣言するための改元だったそうで、同時期には教科書でおなじみの「大化の改新」真最中でしたので、改革の意味も含まれていたのかもしれません。
大化の後は6年ほどして白雉(はくち)と改元されますが、5年ほど使用された後は一旦元号の使用は30年ほど途絶えます。686年に朱鳥(しゅちょう)が1カ月半だけ使用されて、また15年ほど途絶えてしまいます。そして701年に大宝(たいほう)と改元されて以降、元号制度は途切れることなく現在に続いています。

日本の一世一元の制

令和 改元 未来日本でも慶応(けいおう)4年、明治と改元されると同時に一世一元の制を定めました。それまでの日本では、一人の天皇が複数の元号を使用する場合もあれば、逆に二人の天皇が同じ元号を使用した場合もありました。
例えば明治天皇の先代、孝明天皇の在位中は弘化(こうか)3年2月13日(1846年3月10日)に即位、嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応と7つの元号が使用されています。

(元号)○○=○○天皇では無かった

お気付きの方もおられるかと思いますが、孝明天皇の在位中に元号として孝明を使用したことはありませんでした。これは○○天皇の○○は、天皇が崩御された際に贈られる名前諡号(しごう)であって、生前から使用されるものでは無いからです。
現在の元号は元号法という法令にしたがって、内閣の閣議決定で決まり改元されます。
これに対して○○天皇という諡号は、崩御された先帝に対して新天皇が贈るものとされています。つまり今上天皇(現在の天皇陛下)は必ずしも崩御された後に平成天皇と諡号されるのが確定されていないということになります。

新元号「令和」

これまでの元号と違うこと

令和 改元 未来今回の元号を決める時の典拠(参考文献)が確認されている限りでは初めて日本の古典「万葉集」から選定されたという話は既に有名になっております。
他にも現在はOA化やインターネット化が進んでいるために、準備期間が必要と考えられ、改元1カ月前に公表したり、英語(ローマ字)表記では「Reiwa」となる旨が外国や国際機関に通知したり、「令和」は「Beautiful Harmony(美しい調和)」との英訳で統一するように各国に説明したりしています。

平成から新しい時代に

令和 改元 未来私が生まれた昭和・平成は経済的にも社会的にも世界有数の豊さで便利な時代であった一方で、昭和には大きな戦争がありましたし、平成には大規模な災害が多かった時代でもありました。
新しい令和という時代には平穏でもっと幸せになれるような時代になることを祈って結びといたします。

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